原発の捉え方、基本中の基本

人類は、放射線と関わらずには暮らせなくなりました。放射線は、非破壊検査やPET医療にも応用されています。当記事では日本は原発を放棄してはいけないということを解説していきます。万が一、自然エネルギーを活用してエコに電力が供給維持できたとしても必要になる訳をお教えします。子供たちの未来のために、パパママに贈ります。

自然エネルギーって?

テレビなどでよく、原発反対派の意見として、自然エネルギーを活用してエコに電力を作っていく方向に進むべきだという主張を聞きます。私はこの方向性に対しては、別に反対ではありません。

 

太陽光は、晴れてなかったら発電量が減ってしまうので、正直家庭で取り付けるレベルであって、発電所としては微妙だと思います。しかし、例えば私の故郷の群馬県だったら八木沢ダムがありますから、安定して水力発電ができます。現実的には、水力・太陽光・風力発電などの自然エネルギーだけでは日本の電力をまかないきれません。

 

ですから、当然火力とか原子力を使って発電をしていますよね。さらに、中東で紛争や海上の輸送 ルートの封鎖などが生じれば、まさに深刻な影響を被るリスクが高まります。

 

本当に原発は必要か

さて、ここからが本題です。そんな現実を一旦脇に置いて、仮に自然エネルギーだけで日本で使う電力をすべて作れるようになったとしましょう。これなら原発は必要ですか?

 

おそらくほとんどの方が要らないと答えるのではないでしょうか。しかし、それでも日本は原発を放棄してはいけないのです。頭の中に?が浮かびましたか?

 

100%エコに、電気を作れるなら、それが一番いいに決まってるわ。事故起こしたら大変な事になる原発をわざわざ動かす理由無いじゃない。こう思うのが大勢でしょう。しかし、実は電気とは全く別の理由で原発は日本に絶対に必要だったのです。

 

その理由とは何かって、実は、安全保障上の問題なんです。 どういう事かというと、日本では先の大戦でのトラウマから、「核兵器アレルギー」があり、それが現在「核アレルギー」と展開してきている現状です。「持たず・作らず・持ちこませず」の非核三原則なんてものまでありますしね。

 

そんな日本で、核の技術を維持していくためには原発以外無いんですね。要するに、原発の存在というのは、「日本は核兵器を持ってないけど、作ろうと思えばいつでも作れるのよ」という抑止力に現になっているのです。

 

非核三原則を貫いた上で、もし原発をなくしてしまったら、核開発技術は日本からなくなってしまいます。さらに言えば、技術者は職を失いますから当然原発を推進しているけど技術者が少ないチャイナとか韓国に引っ張られていくことになります。するとどうなるか、『日本での核開発技術は一気に衰退』し、代わりに『日本の技術を取り込んだチャイナの脅威がさらに高まる』結果になるわけです。つまり、日本の抑止力が大幅に低下し、チャイナの脅威が一層高まる結果になるのです。

 

ですから、反原発を唱える人達には、チャイナ大好きなやからが多い。そして、こういったやからに騙される形で、「子供たちの未来のために原発NO!!」と感情論で行動する人たちがいっぱい出てきたんですね。

 

子供たちの未来のために行動していたと思ったらいつの間にか子供たちを戦争で死なせてしまっていた。彼らには理解できないかもしれませんが、そうなってから騙された!って気づいても遅いです。

 

こんな基礎的なことは、まともな政治家なら分かっているはずですが、誰も表立って発言することはありません。今の日本の状況ではこんな事を政治家が言おうものなら、マスコミに袋叩きにされて社会的に抹殺されてしまいますからね。

 

日本は戦後70年にわたって形の上では平和を維持していますが、この平和を守っているのは憲法9条ではありません。合衆国の核の傘があり、自衛隊や米軍の抑止力のおかげです。日本の周りにはチャイナ、南北朝鮮、ロシアがいるのですよ?平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して平和を守る?そんなこと出来るわけないじゃない。現に拉致被害者は、たくさん帰れないでいます。

 

まとめ

今は、合衆国の核の傘もあり、日本は相変わらず平和ボケしたままですが、今後どうなるかは分かりません。 合衆国が日本を守るためにチャイナと敵対する事を合衆国の国益に反すると考えれば、日本は見捨てられることになります。公正と信義なんてもので動くのは日本くらいのもので、特に、合衆国は国益でしか動かない事は、歴史が証明しています。

 

もしもが、起きてしまった時に日本は丸腰にされていました。そうなってからでは遅いでしょう。

 

原発の捉え方、基本中の基本を解説してきました。ここを基礎に、いろいろな人から、いろいろな角度のアプローチ(分析発信)が起こることを願いつつ。