日本の社会には無意識の中にも、多くの決りごとや配慮が存在しており、収入の格差などが見えずらくされています。それが確固なものなものだから、それらに守られている我らは、特に差異を意識することは少なく済んでいます。
しかし、「時代」は人々の間の差異をはっきりと認識させる方向に進んでいます。これまでの「日本の常識」という一体感は通用しなくなるのです。
実際、どの人も同じような暮らしをし、同じようなものを食べ、同じようなベッドで寝る安定した社会では、個人の間の差異、つまり足が速い遅い、頭が切れる切れないなどといった差異が目立ってきてしまいます。中でも一番ネックになるのがモテるかモテないかです。
顔面偏差値社会の中、何もしなくてもモテる奴がいる一方、いくら努力してもモテない者がいる。
また、お金の問題もあります。格差は開くばかりだということ。景気は上向きのはずなのに、少なくはない人々の生活が日を追うごとに苦しくなってきているのです。暴動が起きるほどの飢餓があるわけではないのですが、貧の方へ向かって徐々に集団で坂を滑り落ちていっています。
顔面偏差値社会と「最低限の生活ができれてばいいだろ」という社会の無言の圧力の2つに責められ、いくら努力してもモテない者には生きづらいことこの上ないのです。
これらの問題を解消するには、本物の自由主義政党による政権奪取が唯一の方法です。
本物の自由主義政党による政権奪取とは?
その政党は、”科学的自由主義政治”をスローガンに、社会の大変革を成し遂げます。
ただ、まずその本物の自由主義政党の魅力をそなたに説得する必要があるでしょう。
その魅力とは、たとえば、わが国に限ったことかは、わかりませんが、一般人が同じ一般人のプライバシーに関心を持ちすぎなんですよね。そういう過剰な警戒心をほぐすような社会になり、自由な表現活動が可能になります。
また、自由主義といっても、部分的にはアメリカよりもっと自由な、おおらかな世界観を持った、日本的な民主主義を築こうというものです。
そして政策の面では科学的な判断を重視するスマートさを持ちます。これらのことを望む人はまだまだ少数派でしょう、しかし少数派だからこその大変革なのです。
この大変革は人々の間の差異をごちゃごちゃにしてフラットに戻し、劇的に世界をひっくり返す怒りの爆発現象なのです。
本物の自由主義政党による国家運営
本物の自由主義政党が政権を取ったならば、チャイナのように、政府の上に党がある形が想定されます。なぜかって、だらしない他党をのさばわせておくよりも、本物の自由主義政党が独裁的にわが国を収める方が幸福だからです。しかも、自由主義なのですから、将来的には、党内で多様性がうまれ、党内論争も活発に行われるようになります。
しかし、民主主義をないがしろにするようなことはありません。民主主義のプロセスにはとうぜん忠実に従います。また、党首に権限が集中しないように、党首の暴走の歯止めとなる、たとえば、米大統領と議会の関係のような均衡した抑制機能を司法なども交え、独裁防止策を構築して望むべきでしょう。
選挙制度においては、段階的に直接民主制を取り入れていく方向です。今はインターネットを活用すれば楽に仕組みが作れそうですしね。
まとめ
今の時代の政治は、すでに右左ではなく、グローバル化、反グローバル化、どちらを選ぶかの選択になってきていると思います。この政党はもちろん反グローバルです。
特に移民難民に否定的だった人は、グローバル化を拒むことで、人種のごちゃ混ぜ状態が解消されることをイメージすると、気分が良くなっていくのを実感できるはずです。
そなたも、本物の自由主義政党による政権奪取に立ち会おうではありませんか。